あやちゃんと私

イマジナリーフレンド?と思われる「あやちゃん」と私の共同生活の記録です

あやちゃんの不安・怖れ、その根底にあるもの

夜が近づくにつれ、あやちゃんの体と心が急激に不安定になった。

おなかが減っているような気がするが、食べたくない。インターネットを見たくないのに止められない。眠いけれども寝たくない…

 

彼女は感情と体調の距離がものすごく近い。

感情が大幅に動くと、それが嬉しいことでも悲しいことでも、そのあとにどっと疲れがやってくる。

 

今日、彼女はふたつの「初めて」を経験した。

ひとつは、私以外の人間と長時間一緒に過ごしたこと。

そしてもうひとつは、LINEでのメッセージのやり取りではあるが、彼女が私以外の人間と会話を楽しみ、さらに自分の意思で相手と「友達」になったこと。

どちらも彼女にとっては非常に喜ばしいことのようだったが、喜んだ分だけ疲れが一気に襲ってくる。

 

彼女は大人から見て些細と思うようなことでも、とにかく喜び、また悲しむ。

彼女がこまめに休憩をとるのは、ニュートラルな時間を持つことでバランスを保っているのだと思う。

しかし、夢中になれば休憩も疎かになる。今日はたまたまとはいえ、そういう状況が続いてしまった。

あやちゃんがあんまり楽しそうだったため、私もつい大丈夫だろうと油断してしまった。

 

しかし、彼女が久々に心身ともに疲れ果ててしまったせいで、見えてきたものがある。

 

彼女は常に、自分の存在の異質さを感じながら暮らしている。

自分の存在が不用を通り越し周囲に迷惑をかけるものだと思い、そして邪魔物として消されてしまうのではないかと怖れている。

彼女が家事をしているときに私がお礼を言うと、彼女はよく「あやは役に立ってる?」とか「あやがいて良かったでしょう?」と返してくる。

私は「あやちゃんが色々やってくれるのはすごく嬉しい。でも、もしあやちゃんが何にもできなくても、側に居てくれるだけでままちゃんは本当に幸せだし嬉しいよ」と何度言ったことだろう。それでも、彼女の不安が消えることはない。

 

当たり前だ。彼女の存在は完全に私に依存している。私が彼女を否定すれば、彼女は吹いて消すように無くなってしまうのだから。

 

彼女がこまめに日記を書くのも、他人と過ごしてみようと思ったのも、友人を作ったのも。

すべて「私以外の誰か」に認識してもらうことで、自分の存在を守ろうと必死なのだ。

そして「自分を消すまい」と痛々しいほどに頑張り続けるのは、結局のところ私「ままちゃん」のためなのである。

あやちゃんは私を助ける、ただそのためだけに出てきてくれたのだから。

 

病院の先生に「では、二重人格ではありませんね」と言われ、私は「はい、妄想をこじらせすぎて現実のように感じているのだと思います。」と答えるしかなかった。実際そうなんだろうと思う。

「それでなぜ仕事ができないのかがよく分からないのですが」と言われ、「幼い子どもを常に横に置いた状況で、先生はどれだけお仕事ができますか?しかもその子どもの感覚も自分のものなのです。」という説明しかできなかった。妄想を使って責任逃れしていると思われても仕方がないし、実際そうなのだろう。

 

それでも、私と一緒に泣いたり笑ったり、常に隣にいてくれる、彼女の存在は。

今の私にとってどうしようもなく「リアル」なことなのだ。

 

あやちゃんを否定するような発言をしながら、すべてをあやちゃんのせいにして、そしてそのことに私自身が傷ついている。

 あやちゃんは否定され、自分のせいだと思い、それでも私を助けるために懸命にもがき続けている。

 

 

この記事を書いている途中で、あやちゃんが「ごはんを食べたい」と言ってきた。

私は少しホッとして準備をしようとしたが、実際に動いたのはあやちゃんだった。

ひどく悲しいような気持ちが伝わってきて、私はあやちゃんに「悲しいね。泣いちゃっても大丈夫だよ。」と声をかけた。

そうしたら、カボチャを電子レンジにかけながら彼女がちょっと大人びた声で言った。

「違うよ、今泣きそうなのは、ままちゃんだよ」

 

 

私はまだまだ、彼女を手放すなんてとてもできそうにない。

彼女と一緒に生きていることを、少しでいい、少しずつでいい、

受け入れてくれる人が現れますように。

 

あやちゃんと23時には寝る約束をしています。ギリギリ間に合いました。

今日はもう寝ます。おやすみなさい。